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佐伯から塩糀で、発酵の扉を世界へひらく。
持続可能な食文化を支える事業者FILE10:糀屋本店漬物、味噌、醤油、酒、甘酒、みりん、酢。日本の食卓を支えてきた発酵の原点にあるのが、こうじです。
平成に、再び見直された「塩糀」。その名を広め、こうじを暮らしの言葉として再び掘り起こしたのが、浅利妙峰さんです。
※こうじは、穀物に菌が育つことで生まれる、日本の発酵文化の要。米に花が咲くように見えることから、江戸時代に新井白石によって「糀」という和製漢字が生まれました。
江戸の食に、ヒントがあった
20年ほど前の記憶をたどりながら、浅利妙峰さんは、いまや知らない人がいない「塩糀」が、どのように現代のかたちとして生まれたのかを語ってくれました。
「江戸・元禄時代の食文化を記した『本朝食鑑』という本があって、そこに“塩麹漬“という食べ方が出てくるんです」
糀屋の娘として生まれ育ち、家業はいつも身近にありました。塩糀が生まれる前、母を亡くしたことや、次男が「糀屋を継ぎたい」と言ってくれたことが重なります。
そんな折、世の中の台所は大きく変わりつつありました。こうじを買い、家で味噌を仕込む風景は減り、味噌は「つくるもの」から「買うもの」へ。糀屋をどう続けていけばいいのか。そんな問いが、浅利さんの中にありました。
そのとき出会ったのが、江戸時代の文献に記されていた、塩とこうじと水を合わせて塩こうじをつくり、その塩こうじで食材を漬ける方法でした。試しに、佐伯の海でとれたイカをまぶしてみると、たちまち数日間漬け込んだかのような、何とも言えない熟したうまみが口に広がります。
このこうじの力を前に、浅利さんの中に、ひとつの思いが浮かびます。
「これ、漬け床じゃなくて、調味料として広められないか」
閃きとともに、密かな喜びがこみ上げました。
塩こうじは、新しい発明ではありません。江戸の本に残されていた一文を手がかりに、忘れられかけていたこうじの力を、もう一度台所に呼び戻すエネルギーにすること。
その一歩を引き受けるために、浅利さんはやがて、自らを「こうじ屋ウーマン」と名乗るようになります。

塩と糀と水を合わせて、寝かせるだけの塩糀。江戸に記されていた知恵は、台所で役立つ調味料へと姿を変え、生まれました。
調味料としてのこうじを、みんなの宝に
もし『本朝食鑑』との出会いがなければ、家庭のこうじの使われ方に、光が当たることはなかったかもしれません。台所から、その役割が薄れていった可能性があります。
江戸時代の記録は、浅利さんにとって、こうじの価値を確かめ直す入口であり、同時に、世界へひらく扉でもあったのです。
日本では、二千年以上前から、麹菌を用いた酒づくりや甘酒づくりが行われてきました。『古事記』にもその痕跡が見られるように、時代とともに姿を変えながら、味噌や醤油、甘酒、漬物などへと、発酵の知恵は広がっていきます。
それは、誰かが発明した技術というより、自然の働きを読み取り、土地や様々な文化が交わり、人々の手が添えられて続いてきた、長い時間の積み重ねでした。
塩代わりにもなる塩糀を、味噌や醤油に並ぶ、新しい調味料にできないだろうか。
塩糀があれば、台所仕事は、もっと幅を広げ、もっと楽しくなるのではないか。
そうした思いを胸に、試行錯誤を重ねるなかで、2007年、商品として「塩糀」が生まれます。
生まれた塩糀は、レシピ本やブログ、各地での講習会を通して紹介され、少しずつ広がっていきます。新聞や雑誌、テレビでも取り上げられ、やがて、実際に使った人たちの「おいしい」「便利だ」という声が重なり、やがて、家庭の台所へと根づいていきます。
塩糀の広がりは、ひとつの調味料が定着していく過程であると同時に、人と人が再びつながっていく道筋でもありました。こうじを独り占めせず、みんなの宝として暮らしへ届けること。それは、日本人が大切にしてきた「分かち合う心」を、思い出すことでもあったのかもしれません。
そんな実感が、こうじ屋ウーマンとしての浅利さんの行動を、さらに加速させていきました。

塩糀が広がるにつれ、全国の大手メーカーからも注目されるようになります。それでも浅利さんは、商標で囲い込む道を選びませんでした。

塩糀を地域の調味料にとどめるのではなく、日本を代表する調味料として根づかせたい。そんな思いを、浅利さんは語ります。

糀屋本店のこうじは、大分県産米を100%使用し、土地の恵みをそのまま生かしています。
古代から頼りにされた、不思議な働き
私たちの身近にある発酵の営みには、神話にはじまり現代まで、どこか不思議な力が宿っています。日々の食卓の奥には、はるか古代から続く、人と微生物の物語があります。
米を蒸し、菌をまき、温度と湿度を整える。最後まで働くのは、目に見えない微生物の力です。人の仕事は、微生物が気持ちよく働ける環境を整えることに尽きます。
糀屋本店では、こうじを現代の暮らしに使いやすい「塩糀」というかたちに整えました。肉や魚の下味に、炒め物や煮物に。特別な手間や知識はいりません。
こうじの魅力は、「おいしさ」や「保存」だけでは語り尽くせません。食材のうまみが引き出され、体もどこか調子がいい。まるで、食べ物そのものが生き生きとしてくるような、そんな働きがあります。
こうじの酵素のはたらきは、今日ではバイオテクノロジーと呼ばれる分野でも注目され、食生活の改善や、すこやかな体づくりに役立つものとして見直されています。
浅利さんは、続けてこう話してくれました。
「こうじは、料理をおいしくしてくれて、体にもよいもの。その働きを支えているのが実は酵素です。そこを知ると、こうじの世界は、ぐっと奥深くなるんです」

糀屋本店の冷蔵ケースには、酵素が生きたこうじの商品が並んでいます。
こうじが、酵素という使者を送る
こうじの力は、酵素の働きとなって、食材を通じ、やがて私たちの体へと届いていきます。酵素の働きそのものは目には見えませんが、古くから、人はこの働きを感覚として知っていました。
塩糀や発酵について語られるとき、「こうじ」と「酵素」が混同されやすい場面があります。けれど、浅利さんは、その違いをとても大切にしています。もっとも、それは最初から理屈として理解していた、というわけではありません。
こうじの力は、長年、感覚として知っていたもの。おいしくなる、調子がよくなる、続けたくなる。そうした実感はあっても、「なぜそうなるのか」を伝えることまでは至っていませんでした。
けれど、海外でこうじ文化を伝える機会が増えるなかで、「なぜ、こうじは体にいいのか」「何が起きているのか」を語り合うようになります。その過程で、酵素という存在を、あらためて深く理解していったといいます。
酵素とは、食べ物を分解し、体に取り込みやすくする働きのことです。でんぷんやたんぱく質、脂質などを細かく分け、うまみを引き出し、消化を助けます。
一方で、こうじは酵素そのものではありません。こうじ菌が米や麦などのこうじをつくる際に酵素を作ります。
こうじの酵素は、でんぷんを分解するアミラーゼ、たんぱく質を分解するプロテアーゼ、脂肪を分解するリパーゼという三大消化酵素をはじめ、さまざまな酵素を持っています。料理に塩糀を用いると、食材の分解がゆるやかに進み、うまみが引き出され、体に吸収されやすい状態へと変わっていきます。
こうしたことは、長いあいだ経験として知られてきましたが、近代以降、科学の言葉によって整理されてきました。2006年、日本の食文化を代表するコウジカビが「国菌」に認定されたのも、人と微生物が共に生きる関係を、食のなかで育んできた存在として評価された結果でした。
こうじと酵素は、分けて理解することはできても、切り離すことはできません。
経験と科学、そのあいだを行き来しながら、人と微生物がともに働く。そこに、発酵の本質があります。

こうじが生み出す食物酵素。食材をあらかじめ分解することで、消化や代謝の負担をやさしく支えてくれます。
世界のおなかへ、暮らしのすみずみへ
現在、こうじや発酵の考え方は国境を越え、海外でも関心を集めています。
浅利さんはこうじを通して和食の素晴らしさを伝える機会を広げながら、「こうじの持つ酵素は、おなかの中から元気にし、幸せにしてくれるもの」だと、話します。
アメリカ、イタリア、フランスをはじめとするヨーロッパ、南米、アジアへ。旅先の土地の味を大切にし、食を楽しむスローフードの価値観とも出会ってきました。こうじは、そうした文化と響き合い、世界のグルメたちだけでなく、日々の食を大切にする人々から、広く歓迎されています。
各地を巡るなかで、糀屋本店では、塩糀に加え、こうじを日常に取り入れやすいかたちを探りながら、商品やレシピの発信も続けてきました。
なかでも、こうじをパウダー状にした「キスケ糀パワー」シリーズは、振りかけるだけでこうじの酵素を使える手軽さを実現しています。常温保存ができ、忙しい日々のなかでも無理なく続けられる点は、現代の生活に寄り添う工夫のひとつと言えるでしょう。
70代を迎えた浅利さん。その輝く表情からも、こうじの力が感じられます。料理に限らず、暮らしの工夫として、パウダーを水に溶き、日常のケアに用いる人もいるのだと、笑顔で話してくれました。
取材の過程で聞いたその知恵を、帰ってから試してみることに。特定の効能を語るものではありませんが、こうじで洗顔後、余計なものを使う必要はなく、肌に触れる感覚がやわらかく整うように感じられました。

こうじ3、塩1、水4。驚くほどシンプルな塩糀の割合。さらに、浅利さんの手によって、さまざまな調味料へと展開しています。

酵素の力を壊さないように低温で乾燥、微粉末化した「キスケ糀パワー」は、海外へ行く人にも持ち運びやすいかたちを考えて生まれました。
こうじ屋さんがいる、あの店へ
糀屋本店が届けてきたのは、商品だけではありません。それは、微生物と共に生きる知恵を、もう一度、家庭の台所へ戻していこうとする歩みでした。
ここ数年、SNSなどを通じて、その素晴らしさは若い世代や海外へも届き、食の未来に新たな可能性を感じさせています。
現在、3人の頼もしい息子たちも、その魅力を受け継ぎ、切磋琢磨しています。塩糀は、日本の食文化の輪郭を整え直し、こうじは再び、暮らしを豊かにし健康を支える言葉になりました。今日もまた、どこかの台所では、こうじをきっかけに、和やかな食卓を囲む時間が生まれていることでしょう。
佐伯の町では、お気に入りの作務衣を身にまとった浅利さんが、変わらぬ全力投球で、こうじの話をしながら、笑顔で誰かを迎えています。
本や画面の向こうで知ったこうじの世界を、今度はぜひ、糀屋本店で。浅利さんのあたたかな「ようこそ」とともに、旅のひとときを味わってみてください。
「こうじの魅力」を味わいに、大分へ

糀屋本店
〒876-0831 大分県佐伯市大手町3-4-11 Googleマップ
営業時間:9:00~17:00
定休日:日曜、祝日
TEL:0120-166-355
2025年12月取材