HOME > BLOG > STAFF BLOG

blog

  • STAFF BLOG
  • SELECT BEPPU BLOG

STAFF BLOG

「別府解体」インタビュー

ベップ・アート・マンス参加プログラム
清島アパートの1室での作品
インスタレーション「別府解体」
「別府解体」が12月いっぱいまで継続展示!!
作者である、ランドスケープデザイナー:EARTHSCAPE 団塚栄喜さんインタビュー



嘉原>本日は、5点程お聞きしたいことがあります。まず1つ目は、団塚さんのご紹介。次にこれまでの活動について。そして、今回、別府で活動するに至った経緯と「別府解体」という作品について。最後に、今後の活動についてお聞きしたいと思っています。
まず、始めにこれまでの活動についてお聞きしたいのですが。実は昨年私は、越後妻有に行って、MHCP(メディカル・ハーブマン・カフェ・プロジェクト)の作品を見に行きまして、オオバコのクッキーをいただきました。また、EARTHSCAPEのHPやこれまでの活動、過去のインタビューを拝見しました。団塚さんは大分県出身なんですね?

団塚>大分県佐伯市出身です。

嘉原>環境美術研究所の関根伸夫さんのところにいらっしゃった時は、ずっと彫刻を制作されてきて、ある時から、空間の中での点(彫刻)がつながり線や面を創りだしていくことに興味を持ちはじめランドスケープデザインという方向に至ったということを、過去のインタビュー記事で拝見したのですが、団塚さんがランドスケープという領域で活動するに至った背景、経緯について改めて教えていただけませんか?

団塚>気がついたらそうなっていたんですね。昔は、彫刻やモニュメントなどを制作していました。当時、建築家と仕事をしていると色んな難問を与えられるわけです。そのままではどうしようもないスペースができてしまって、建築では解けないこの空間をなんとかしたいというような依頼が多い。その空間に対し、どういう処置が適切か。単体の彫刻が持つエネルギーと空間に対するバランスや人との関わりを考えると、それ単体だけでは成立できないんです。だから、だんだんとその彫刻が1個じゃなくて複数セットの方がいいな、となってくる。環境アートも、空間と人が関わった時の双方間の関係を考えることが中心にあると思います。それで人と空間の関係において、点が必然的に増えていったりする。そうこうしていくうちに、どうしても広いスケールに作品が展開していってしまう。そのように考えて行くと、自然と点と点の繋がりが線になり、そして面となって、気がつくとランドスケープというスケール感を持ったわけです。

嘉原>過去のインタビューの中で、団塚さんの幼少期の思い出で、自分の家の近くに海があり、そこにコンクリートの防波堤があって、それが自分自身と自然との媒体になっていて、その防波堤があることによって自然を感じるところから、今の自分の活動に繋がっているという記事を拝見したんですが。

団塚>そうそう。僕は佐伯市の大入島で生まれたんですが、防波堤がいつも身近に、生まれた時からそこにあったんです。いつもそれを見ていて、大人になって、ふと気付くと防波堤フェチなわけですよ。(笑)どこに行っても、防波堤があると、なんだか「いいなぁ」と思ってしまう。それで、どうしてこんなに好きなんだろうなぁと、その理由を考えてみると、自然と自分との間に何か媒体がないと、自然を感じるその感覚が何か計りづらい。自然環境に入り込むと、例えば、大きな湯舟に浸かっているような心地よさを感じます。別府で言い換えると、温泉とか湯けむりとかですね。裸でどっぷり浸かっているような感覚になります。ただ、そうやって漠然となんかいいなぁと思う行為は当然ありますが、もう少し自然の成り立ちというか、構成要素を分解して引き出すことができたら、もっと自然の存在が分かりやすいんじゃないかと思うんですね。

嘉原>それは、心地よさの素材というか?

団塚>そうです。なぜ心地いいのかなということについてね。例えば、あそこに桜が紅葉していますが、道路に落ちた足元の落ち葉を拾って、手に持った時に季節感を感じて、ああ、秋だなと思ったりする。そういう自然の断片って、結構色んなところに転がっていて、自然の流れやありがたみ、美しさや大切さに気づくきっかけと思っています。そのような「きっかけ」をつくるのが僕の仕事なんじゃないかなって、ある時思ったんですね。

嘉原>気づきのきっかけをつくることなんですね。それでは今回、別府に活動拠点を持ったきっかけ、経緯について教えて下さい。

団塚>EARTHSCAPEはスタジオが東京にあるのですが、今、僕の地元の大分県佐伯市の中心市街地活性化の仕事をやっていることもあり、頻繁に大分に足を運びます。ある時、国東に住む友人が主催したパーティーで、BEPPU PROJECT代表の山出さんとお会いしました。以前から、『混浴温泉世界』のことは、ちらちら聞いたり、雑誌やWEBで見たり。開催時に見に来ることはできなかったけど、いいなぁ〜と思っていました。別府にこういうアートプロジェクトって合っているよな、機会があれば参加してみたいなと思っていたんです。それで、山出さんと話している中で、清島アパートの話をお伺いし、面白そうですね、僕も参加させてくださいよ!と言ったら、是非是非とお誘い頂いて活動拠点を別府に持つことになりました。清島アパートがどういう場所か見たことはなかったけれど、別府となにか関わりたい、別府には子どもの時に観光に来て地獄巡りはしたけど、それぐらいしかないので、別府という町をもっと知りたいと思っていました。
今回、ベップ・アート・マンスで、清島アパートの1室を使った展示をするという話になり、僕たちは以前から気になっていた、土がむき出しの一番傷んでる部屋を使わせてもらいました。何か作品のアイデアがあったわけではなかったのですが、直感的に土で何かできる気がしたんです。

嘉原>やはり、そういう土といった自然のものに団塚さんのアンテナが反応するんですね。そして、あの土の部屋を使うことを決めて、今回の作品「別府解体」のプランは、どのような流れの中で生まれたんですか?

団塚>場所が決まってから、改めて現場を見に来ました。最初は植物を入れようという考えもありましたが、光があまり入らないことが分かり断念。自然物である土を利用してつくるにしても、あまり足し算したくないなと思っていたんです。足し算も引き算もしないような在り方が合っているなと思って。それで、土で何ができるのかと考えた時に、もう掘ることしかなかったんですね。

嘉原>足しもせず、引きもせず。そしてまた元の状態に戻す。

団塚>とりあえず、掘ってみようと。掘り進めれば何かしら出てくる。作品の最終形はつくりながら生み出していったものの、掘りだしたものを綺麗にし、展示するような方法に行き着くかもしれないとなんとなく予想していました。とはいえ、掘ってみないと分からない。そして、確実なものはなにもないものの、掘り始めたら、どこまでも行くしかない。温泉がでるまで(笑)。そんな考察を繰り返した後、掘る穴の寸法を決めるとか、掘り方や穴の位置をどうするのかとか、そういうディテールに入っていったわけです。でも、答えはもうこれしかなかったですね。何も足さないし、何も引かない。

嘉原>その±0の領域で可変させるっていうのは、すごく面白いなぁって思います。だって、何かを変化させるとなると、やはりマイナスに動くのか、プラスに動くのかと考えますし、そのゼロの中で動いているっていうのは、とても興味深いですね。
実際、掘る作業をしていた時に、思ってもみなかったトラブルなどはありましたか?

団塚>もちろんいろいろとありました。
1m角の寸法で、部屋の中央に、どこまでも、温泉が出るまで真っすぐ掘る、と決めてEARTHSCAPEのスタッフはひたすら作業。道具は、僕が佐伯の発掘調査の現場まで行って、どんな道具を使っているのか粒さに調べました。その発掘現場のすぐ近くに金物屋さんがあり、同じ道具を販売していたのですが、道具がちょっと錆びていて、おばちゃんがタダでいいよって言うんですよ。こんなラッキーなことないなって思って、大量買いして。だから、使用した道具は考古学調査のための道具と全く同じものです。僕は何十mも掘ろうと考えていたんだけど、掘り始めたらすぐに地下水が出てしまい、もっと掘り進められなかったのが実は残念なんです。でも、この穴くらい掘っただけで、袋64個分の土と、加えて土の中から出て来たものがここに展示しきれないくらいあるんです。その量や、内容をみて、採掘したものを使ったインスタレーションを考えました。
思い返してみると、僕は子どもの時に、考古学者になりたかったんです。なぜだか分からないけど、古いものに興味がありました。大入島では古い家に住んでいたので、縁の下に入ると土があって、そこに江戸時代の古銭とかが落ちていたんですね。人の家に行っても、縁の下に入らせてって言って、古銭探しとかしていたんですよ。そしたら、そこにアリ地獄や様々な生物の命があった。

嘉原>本当に今回の作品は、考古学的ですね。

団塚>考古学的ですよね。

嘉原>今回の展示も採掘された石などが並べられていて、とても美しいなと思いました。やはり団塚さんは、先程の桜の話もそうですが、細部を見て全体を感じるというか、そういう共通項があるなとお話を伺って思いました。

団塚>今回も色んな貝殻や、何かの骨が出て来たりしました。小さいものほど面白い情報が詰まっている気がした。そういうことを気づかせるような展示方法を考えました。


嘉原>あの穴はどれぐらいの日数で掘れたんですか?

団塚>穴はだいたい1週間で掘れました。色んなものが出てくるんですが、それを考古学という言葉で括ってしまったらそこで想像力が止まってしまう。だから、考古学という言葉を使わずに、作品のコンセプトなりタイトルを与えようと色々と考えました。言葉の力、言葉と作品の関係って大事だなって思うんです。それで、「ターヘル・アナトミア」という言葉がふと思い浮かんで。アナトミアってなんだったっけと調べてみると、解体とか解剖という意味で、そこから想を得て「別府解体」にしたんです。単純に、掘り出したものを分類し、陳列して、コードネームを付けるだけで、見えてくるものがあるだろうなと思ったので、それをシンプルに言葉に置き換えると、「別府解体」だったんですよね。

嘉原>なるほど。そのような経緯があって「別府解体」というタイトルになったんですね。今のお話を聞いていて、もっと深く掘っていたら、また印象が変わるんだろうな思いながら、作品を思い出していました。

団塚>そうそう。もっともっと掘るつもりで、そんなに水位が高いとは思わなかったから。どこまでも掘りたかったのに。。。

嘉原>じゃぁ、ちょっと残念だなという感じですか?

団塚>そこだけ残念だね。もうちょっと掘りたかった。ただ、あれぐらいを越えると物が出てこなくなったんですよ。まず、この場所での生活の痕跡が始めに出てくるんですね。以前は他の誰かが暮らしていた車とか、生活や文化の痕跡というのがあって、そこからまただんだん掘り進めて行くと、貝が出て来たりする。もともとはここが海だった、という記憶が出て来て、それ以上掘って行くと、何もなくなってくるんですよね。つまり、どんどん昔の海の底に近づいていくんでしょうね。

嘉原>それもまた面白いですね。記憶の層というものが感じられるし。

団塚>あの掘った範囲に入っていたものは全て保存しています。だから以前、勝くん(清島アパート在住アーティスト)があの部屋でインスタレーションをしていた時の作品の残骸も、かけらになって展示されています。

嘉原>それは面白いですね!!「別府解体」の作品を見に行くまでに、土の入った袋がずっと外に並べてありますね。あの土の部屋の空間から、作品自体の空気というか、あの空間が広がっているような感じがして、私はすごくいいなと思いました。

団塚>始めは、部屋の手前の壁際に積み上げていたんですが、大量になってきたので、これは作品と土との関係を表現した方がいいだろう、掘った順番に番号を付けて、入口から置いて行くと、部屋を開けた時の驚きと外の環境とが繋がるかなと思ってこの並べ方になりました。

嘉原>作品の目的などについてもう少しお話をお聞きしたいです。

団塚>インスタレーションとしては、単純に1m角で掘り下げ、そこにあるものを分類して陳列しただけなんですね。清島アパートに来る人は、アート好きな人以外にも地元の人も来ます。別府って、人なつっこいと思うんですが、ふらっと地域の方が遊びにくる。だから、誰が見てもまずは分かりやすいものがいい。でも、分かりやすいけれど、見た人それぞれの感じ方が違うんじゃないかと思って、あのような展示方法にしました。分類して、一応コードナンバーは付けていますが、特にそれぞれにタイトルを付ける訳でもなく。見方の順番もないし、好きなように見てもらって、来場者がいろんなことを感じて、その感情や感想を持ち帰ってもらい、別府という自分が住んでいる場所にある、いろんな時間軸、自然と自分たちの暮らしの関係、昔の人の生活様式とか、自分が今生きている、別府という場所、あるいは、自分が生きている意味や命の連鎖についてとか、極端に言うとそういうことまで考えるきっかけにならないかなと思ったんです。
最後は穴を埋めて更地に戻します。どんな作品もそうですが、形あるものは最後なくなってしまって、僕ら自身も形がなくなって消えてしまうわけです。そして、記憶だけが残る。DNAもそうですね。情報としての記憶だけが連鎖していく。それだけで作品だなぁって思っています。僕がつくるランドスケープの作品は、形があるもの、壊れにくいものをつくるんですけど、そういったものも、一瞬で壊れてしまうインスタレーションも、僕にとっては同じだなと思っています。物質としての作品をつくることが大切なのではなくて、それぞれの気持ちの中、心の中に重要なことがあって、それに気づくことそのものが作品だと思います。感動したり感じたりすることというのは、自分の中にあるわけですよ。だから、ものとしてはどんな形をとっていてもいい。物質としての作品をつくらずとも、そういうものを引き出すことができるのではないかなと思って、こういうアプローチをしました。

嘉原>こうして実際、別府に来て関わってみて、何か印象は変わりましたか?または、何か別府について気づいたことはありましたか?

団塚>別府の町は、人と人との距離や人と町の距離が近い。生活の身近に湯があって、お風呂の中での裸と裸のコミュニケーションがあったり、お風呂上がりのすごくリラックスした別府特有の時間が町に流れていたり。今まで観光地としての別府しか知らなかったので、生活感に満ちあふれている別府を初めて見て驚きましたし、それがいいなと思いました。僕の故郷である佐伯は、海と山に囲まれて村同士の交流がない地域だったので、あまりコミュニケーションが上手じゃないと思うんです。付かず離れず距離を保つ感じがするという僕の田舎に比べ、本当に別府の人はいつもすごく近くに居る。それが心地良いし、一番印象が強いですね。温泉の成せる技だと思いますよ。大地のエネルギー、マグマのエネルギーというかね。

嘉原>それでは、今後の活動についてお聞きしたいんですが、例えばハーブマンでしたら、ワタリウム美術館で1日ワークショップを行ったりされていますね。ハーブマンの活動もまた色々なところでされていく予定なんですか?

団塚>やりますよ。MHCPは、つい最近、8月2日、ハーブの日に社団法人化したんです。考えたのはもう10年くらい前なんですけどね。コンテナを使って世界中を旅できるようなシステムをつくるのに時間がかかって、去年やっとそれを完成させました。コンテナがあることによって、さらに夢が付加できたなと思っていて、そこになんでも詰めて、海を渡って世界中の子どもたちと遊べるとかね。ハーブマンに夢を託せるわけです。公益的な事業をハーブマン中心にこれからもすすめて行くつもりです。まだ生まれたばかりなので、本格的な活動はできていませんが、色んな日本の自治体や、世界中のメディアから声がかかっています。

嘉原>別府での活動は、今後何か考えていらっしゃいますか?

団塚>「別府解体」を解体した後ですが、そういう場面があれば、その場所ごとに合わせた「ベップスペシフィック」な作品をこれからもつくっていけたら面白いですね。もしかしたら、来年のベップ・アート・マンスかもしれませんし。何か、次の機会を与えていただければ是非やりたいですね。

嘉原>嬉しいですね。今、しっかりとお聞きしましたね。これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

2010年11月28日(日)
文責:嘉原 妙

コメント(0)

コメントをどうぞ